パノラマ寓話

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夜明けについて

   

グラスの中の氷が溶けて、底に落ちる音で目が覚めた。
暖かな黄味の強い照明に照らされたバーの隅で、俺は寝てしまっていたらしい。

「起きたかい?」

顔中にヒゲを生やしたマスターが話しかけてくる。
辺りを見渡すとカウンターにいる客は俺一人で、
他には店を閉めた後に来たらしき顔見知りのスナックのママとその客が二、三人、
テーブル席で談笑しているばかりだ。

「あぁ…。寝てしまったみたいで。すみません」

どのくらい寝ていたのだろう。
タンカレイのロックを飲み切って、今度はボンベイサファイアとズブロッカのどちらを頼むかで悩んでいたのが最後の記憶だ。
空にしたはずのグラスの中は、溶けた氷で三分の一ほどが満たされていた。

「今日はお客も少ないからね。まあ、いいよ」

この店には開店当初から通っているので、たまに粗相をしてもこうして許してくれる。ありがたい。
お礼を言って目を遣った窓の外は明るく、薄青い夜明けの空気が滲んでいる。
時計を見ると朝の四時半だった。

「もうこんな時間か」

お代わりを頼むのはやめ、帰ることにした。
チェックを済ませ、店内に居る人達に挨拶をして店を出る。
朝だというのに空気が重く、密度が高い。熱を孕んでまとわりつく。夏だ。
高いところの空は夜の余韻をまだ引きずっている。
家と家、ビルの隙間から覗く空はオレンジがひたひたと押し寄せ、やがては赤く染まり、
よく知った空の青色に変わるのだろう。

ふと、夜明けとは何処からやってくるのだろうかと思った。

夜が終わる場所、朝が最初に踏みしめる大地。
世界の果てから地平線に届いた朝が、そこから真っ直ぐに天へ伸びてゆく。
朝に触れた夜は淡い青色に染め変えられた微細の粒子に変わり、空いっぱいに満ち溢れる。
そうして空の一番高いところに届いた頃、世界は朝に満たされているのだ。

甘い水色の空、祝福の朱鷺色に染まった雲。
オレンジ色をした太陽の使者が地平線の下から太陽を引っ張り上げ、強情に天頂へ居座る夜を駆逐する。

「……なんだ、国取り合戦みたいだな」

ピンク色に染まるマンションの外壁を眺めながらひとりごちる。
もし、本当にそんな風景があったとしたら、その景色は、どれほど素晴らしいのだろう。

遠く遠く、旅に出たいと思った。
朝の始まる場所を探しに。世界と、世界の果ての境を見つけに。

世界は一瞬たりとも留まらずに移ろい続けていくから、
今の俺の思考さえ、虹のように消えてしまうのかもしれないけど。だけど。

淡い水色の帳が降りるように、空の色が変わる。
俺はその美しさに目を細めた。

また、朝が始まる。

 - novel