パノラマ寓話

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Happy

   

THE JETZEJOHONSONの「Happy」を聴きながらこの手紙を書いている。
もう、15年ほども前の曲になるだろうか。

あの頃の君にとってきっと、朝は何より怖いものだっただろう。
目の前に広がる、荒涼たる現実。
血反吐を吐きながら生き延びた過去を離れてから、
その場所にいた自分をねぎらう術も知らず、
ただ今目の前で起きているかのように繰り返し訪れる過去からの悪意に青ざめて、
君はただ、うずくまるしかなかった。

休むことは許されなかった。
なぜなら、時間の経過というものはけして止まらないからだ。
休息のために必要な夜は一定の時間を経れば明け、
戦場を白々と朝日で照らす。
そうなれば一歩踏み出してそこへ赴き、ただ戦うしかない。

過去との決着と現実との決着を同時につけることは、
けしてたやすいことではなかった。
それをごまかすための麻酔として、君はあのとき、
大量の傷跡と、薬を必要としていた。

君がもっと賢明なら、ほかの手段を講じることが出来たはずだ。
だが残念ながら君は愚かだった。
生まれたての赤子のように無防備で、白痴だった。
自分が今生きている現実を肯定できないくせに、
無心に動き生きようとする自分の心臓を否定することが出来なかった。
その自己矛盾を飼いならす術も知らずに、
君はただ、自分が今生きているという現実を生きるしかなかった。

何かを憎んで否定して、あてつけるように傷つける対象を見つけられたらよかったのかもしれない。
君にはきっと、世界中の誰よりも残忍になる資質があった。
でも君はそれだけは否定した。

事故憐憫に溺れていると嘲笑されようと、
心を病んでいると後ろ指をさされようと、
自分の傷を誰かに肩代わりさせることだけは、拒んだ。

出来ることより出来ないことの方が多くて、
君はいつも自分に失望して、
自殺する代わりに自殺する方法を熱心に勉強して、
丸一日寝てるだけで済む薬の量を覚えて、
喘ぎながら溺れながら、きっと今も生きているんだろう?

死ぬことは怖いが、
生きていることも同じだけ、怖い。
死んだ先の自分の魂の行方が分からないのと等しく、
明日の自分の行方もわからない。
わかるのは今この一瞬と過去だけだ。
だから、君が生きていることは別に偉くもなんともない。
ただの惰性(だせい)に過ぎない。

「自分が死んだら○○が悲しむだろう」
「自分が死んだら●×に迷惑がかかる」
そんなのは詭弁だ。
君は誰かのために生きているわけじゃない。
君の人生は君だけのものだ。
自分以外のものにすがって、言い訳をしてしか生きていけないのなら、
君は今すぐ首を吊るべきだ。
そんなぬるい憐憫につかって、「あなたのために生きている」なんて。
そんなことを言われた相手はどれほど迷惑だろう。
そんな重たいものをいきなり背負わされても困るだけだ。
私だったら断固として拒否する。
吐くほどに、気持ち悪い。

だから君は、自分のために生きなくてはいけない。
自分のために、生きる意味を、意義を見つけなくてはいけない。
生きるためにしがみつくべきものを、
それが誰を、何を傷つけ、踏みしだき、壊してしまうのだとしても、
それでも大事だと、必要だと叫べるものを、
君は自分自身の中に見出さなくてはならない。

それがきっと、人が生きていくということだ。
だから君は、いつか君を傷つけられた無下にしてきた人たちのことを
そんなに気に病んだり、憎む必要もないんだ。
それと同じように君だ誰かを嫌ったり憎んだときに
自己嫌悪を抱かなくてもいいんだ。

ただそれは、その誰かが生きてくために必要だったことに違いないから。
誰だって生きていたくて、生きていかなくてはならなくて、
そのために起きた不幸な事故に過ぎないから。
それと同じように、君にもきっとその、黒々として禍々しい感情がなくてはならなかったのだから。

君はもう、自分以外の誰かの悪意に震えなくていいよ。
自分の中の誰かへの悪意を恐れる必要もないよ。
君の心臓は迷いなく動いている。
君はきっと、明日も明後日もずっと、生きている。
ただそれだけのことだから。
ここにはもう、正しいも、間違っているも、ないから。

君は、君の心臓が、肺が必要としている酸素を思う存分吸って、
明日のためにご飯を食べて、眠る自分を、許していいんだ。

もう、ここから先には、大丈夫なことしかないよ。
大丈夫なんだよ。

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