パノラマ寓話

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影ふみ

   

この小川は小川なんだろうか。
アスファルトで固められた道、植木、小川、の順に整えられたそこを歩きながら考える。

昨日から正午前まで降っていた雪が、道の片隅に積もっている。
それはまだ柔らかくて、踏むとぐしゃり、と呆気なく潰れてしまった。

家々の隙間から山が見える。
私の生まれ育った場所にはなかった景色。
山の向こうは橙がくすぶっている。
昼が燃え、尽きたらもう、すぐに夜が来るのだ。

車止めを平均台みたいにして、彼女は私の前を行く。
振り返らないで、独りで行ってしまう。
悲しいので、私は黙ってその背中を眺めている。

ここでひゅいっと横道に引っ込んでしまったら、
彼女は気付くだろうか。そうして、悲しんでくれるだろうか。
その悲しみは、私が今抱えているものと同じくらい? それとももっと? あるいは――全然?

いつまでも燃え尽きない空を眺め、「陽が伸びたねえ」と独り言を言う。
そうしたら、「でもあんまり寒いから、あたたかくなるなんて信じられないね」と言って、彼女がこちらを振り向いた。
その表情が、高い所からぶしつけに降る街灯の光に白々と照らされている顔が、
妙なくらいに不機嫌だったので、私はそこでやっと、彼女も私と同じ気持ちでいたことに、気付いたのだ。

あともうちょっとしたら、私はここを離れる。
遠い、自分の街へ帰らなくてはならない。
そうしたら今度、彼女に逢えるのはいつになるだろう。
明日を信じない私は約束をしない。
朝が来る事を憎む彼女も約束をしない。
そんな儚い、未来を信じたくなるような幻は、残念ながら私たちにとって、毒以外の何物でもないのだ。

今だ。
ただ、今だけが、ここには必要だ。
それしかこの掌には掬えなくて、それだけが私たちに呼吸を許す。

私が住む街に比べ、ここはどうしてこんなに暗く感じられるのだろう。
まだ空はしぶとく燃えていて、夜はまだ訪れきっていない。
空の一番高い所は黒々と沈んでいるのに、
裾野ではオレンジの残照が長々と燃える炭の火のように居残っている。
目に映る全てがあまりにも寂しい。
ここではない何処かへ行きたくてここへ来た。
追い駆けても追い駆けても届かない彼女を捕まえたくて、こんなところまで来てしまった。

「もう帰ろう」
向こうから、彼女の声が届く。
「どこに?」――そう問いたくなるのを堪えて、
私は返事の代わりに彼女のうすぼんやりと頼りない影を踏んだ。

「私たちには、一緒に帰る場所なんてないじゃない。」
水が沁みるみたいに胸が痛む。
「だって、二人でどこかへ行こうなんて、本当は思っていないでしょう」
踏んだそばから、彼女の影が逃げて行く。

 - novel